プロフィール
名前 | えみ |
渡航先 | フランス・パリ |
渡航時の年齢 | 25歳 |
渡航前の職業 | パティシエ |
渡航資金 | 150万円 |
渡航時の語学力 | フランス語・英語共に中学生レベル |
渡航時の滞在方法 | アパルトマン |
語学学校の期間 | なし |
ワーホリのきっかけ
製菓学生のころ、学校のカリキュラムで3ヶ月パリに留学していました。
そこではホームステイをしながら、2箇所のスタージュ先でフランス人と一緒にパティシエとして働きました。
フランス語は全く話せませんでしたが、みんなとても温かく迎え入れてくれました。
洋菓子の本場、フランスにきてたくさんのお菓子を食べたり、芸術にふれ、日本では経験できない体験がいっぱいできました。
その経験がとても刺激になりもう一度行こうとずっと思っていました。
コロナの影響もあり強い思いはなくなっていましたが、頭の片隅にはワーホリしたいという思いがありました。
日本での職もとても気に入っていて、気持ちが薄まっていましたが、24歳になり日本でパティシエの経験を積んで、将来の事も考え始めました。
その時、ワーホリに行かなかったら将来後悔するなと思い始めました。
そして、行くなら今だ!と思い立ち、1年間ワーホリのための貯金をはじめました。
フランス・パリを選んだ理由

フランスの地方菓子やヨーロッパ菓子に興味を持ったからです。
日本に売られている焼き菓子や洋菓子はフランスから来たものが多く、本場の味を知りたいと思うようになりました。
地本菓子を学ぶため、地方で働くことを考えましたが、フランス領土は広く、地方菓子を作っているお店も点々としているため、首都からのプチ旅行で地方に行く事を決めました。
パリはやはり日本人も多く、パティスリーも多く、働き先や宿は1番探しやすいかと思いました。
実際に、フランス語はあまり話せませんが、アパートの契約も就活もスムーズにできたと思います。
また、連休がある日はRERやバスを使い、地方にふらっといけるのでパリに住んで良かったと思いました。
渡航当初の様子
私は6月の中旬にパリにきて2週間ほど旅行をしていました。
その後、働き先を探そうと思いいろいろ調べていましたが、働きたい場所の求人がなかなかなくメールで応募しても全く反応がありませんでした。
次に、気になるパティスリーに履歴書を出しに行きましたが連絡は来ませんでした。
渡航した時期がオリンピックの時期と重なったこともあり、家賃がとても高く、そろそろ働かないとと焦っていました。
しかしそんな中、時間もあるので思い立ってニース旅行に行くことにしました。
そこでInstagramを通して仲良くなった方と食事をしに行くことになり、いろいろ話を聞く事ができました。
その方に、「とりあえず働きたいお店で働けるようになるまではアルバイトをしたらいいよ!気軽にね。」とアドバイスをいただき、日本語で求人を募集しているサイトなどを教え頂きました。
そこから、気になるパティスリーやレストランを探し、割とすぐに仕事が始められました。
仕事を探すのに手こずりましたが、方法が分かってからは淡々と物事が進みました。
ワーホリでの仕事

フランスに来てから2ヶ月が過ぎたあたりに、先輩の紹介でパティスリーにて1ヶ月の短期バイトをすることになりました。
週に3日ほどの勤務だったためカツカツ生活でしたが(月800€程度の稼ぎ)、職場には日本人が2人いて、他はフランス人でしたが、みんな人がよく、とても働きやすかったです。
ですが、家賃が高くほとんどが家賃にまわってしまうため、4ヶ月目からはフルタイムでレストランパティシエとして働き始めました。
働き先はフランス掲示板のMixBというサイトから探しました。
こちらのサイトは日本語で応募したりできるため、たくさんの在仏日本人の方が使っているのでおすすめです。
レストランでの仕事は初めてだったので得るものが多くいい経験になりましたが、1日12時間以上働く日が多く、使用期間の3ヶ月だけ働きました。
こちらの給料は手取りで1600€+チップ(大体一か月に300€)で土日休みでした。
次の働き先は自分の好きなパティスリーに履歴書を持ってお店に行ったりしましたが縁がなく、MixB、ジモモパリ、ovni、indeed、Aupairをつかって職探しをしたりしました。
ovniの求人募集にて採用されたパティスリーで働くことになりましたが、繁忙期だったこともあり、7:00〜20:00まで休憩なして働いてきいました。
そんな中、1ヶ月がすぎてからAupairファミリーが見つかり、住み込みベビーシッターをしていました。
最後の3ヶ月はファミリーの家でお世話になります。とても条件がよく、自分の部屋(トイレシャワー付き)+月700€、食事つきでした。
ワーホリでの最大の困難と克服方法
パスポートの紛失です。
普段ずっとパスポートを持ち歩いている訳ではありませんが、その日は面接のためパスポートを持ち歩いていました。
帰り道、パスポートがないなという事に気づきましたが、お店に忘れてしまったと思い、次の日お店へ足を運びましたが見つからず。
とはいえ、きっと探せば見つかるだろうと働き始めるまで放っておいてしまいました。
克服方法
職場でも探しましたが見つからず、警察に紛失届けを出すまでに3週間ほど経ってしまいました。
その後、警察署にパスポートが届いていると連絡があり、無事自分の元に戻りました。
ですが、その頃にはもう紛失届が受理されてしまっていたため、パスポートが止められてしまい、再発行をしないといけなくなりました。
日本大使館に連絡をし、必要書類を集めました。
このとき、日本から戸籍謄本を送ってもらう必要があり大変でした。
書類が届くまで2週間かかり、すべての書類が揃ってから日本大使館へパスポートの再発行をしに行きました。
その後はとてもスムーズで1週間後に受け取りに行き無事解決しました。(再発行には107€かかりました)
ワーホリでの一番の思い出
ワーホリで経験したことはすべていい経験で思い出に残ることばかりで、なかなか1番が決めがたいです。
ワーホリを通して出会った友達、初めて経験したレストランパティシエ、住み込みベビーシッターをしているオーペア、ヨーロッパ旅行すべていい思い出です。
パリでできた友達とはとても仲良くなり、一緒にカフェに行ったり旅行したりしてとても楽しい時間を過ごしました。
友達ができるまで1人で出歩くことしかありませんでした。
街開拓が出来て楽しいですが何か物足りなさを感じていたので、友達ができたことはとても大きな思い出です。
ずっとパティスリーで働いていましたが、パリに来て初めてレストランパティシエにも挑戦でき、自分の世界観が広がりました。
ワーホリを通じて得たもの
地方菓子、ヨーロッパ菓子、デセールなどいろんな方向からお菓子を学べ、パティシエとしての知見が広がりました。
とくに、期待していなかったイタリア菓子はたくさんの発見があり面白かったです。
また、アートや旅行などがインスピレーションにつながり、たくさんのヒントを得られました。
ワーホリでのいろいろな経験を通して、対応力も身につきました。
例えば、パスポート再発行の出来事であれば、フランス警察署へ行きフランス語で伝えたり、その後の手続きをフランス語で教えてもらったりと、対応しなければならないことがたくさんありました。
起こるハプニングはすべて自分を強くしてくれた気がします。
時には、自分の意思を尊重することも必要だという事も学びました。
これは、アパートの退去時の敷金の件で、退去する少し前にトイレ修理にきた業者さんが壊したパーツ代の請求が敷金で差し引かれそうになっていました。
解約の条件をしっかりと確認し、「この請求が私なのはおかしい」ということを強く主張し、正規の額の敷金が返ってきました。
これからワーホリする人へ
やはり、1番は言語が大切だと思いました。
それぞれワーホリ先の主言語は少しでもみにつけておくとより充実したワーホリになるかと思います。
お店に行くにしても、仕事するにも、友達を作るにもやはり言語がわからないとうまくコミュニケーションがとれず間違えた解釈をされてしまう時もあります。
とは言っても、私もあまり勉強せず来てしまったため結局のところはなんとなることばかりです。
ですが、やはり人と話す上でもっと上手く話せたら楽しいだろうなと思う事もあり少し後悔しています。
あとは、事前にたくさんの情報を持つことはとても大切だと思いました。
最初の難関、ビザ取得の件からはじめ、ワーホリ先、旅行先の情報を掴めば掴むほど楽しみ方が広がると思いました。