プロフィール
名前 | あかね |
渡航先 | ドイツ・デュッセルドルフ |
渡航時の年齢 | 31歳 |
渡航前の職業 | 販売員 |
渡航資金 | 250万円 |
渡航時の語学力 | 英語は中学生レベル、ドイツ語はあいさつ程度 |
渡航時の滞在方法 | シェアハウス |
語学学校の期間 | なし |
ワーホリのきっかけ
元々、私は海外に全く興味がなく、英語も学校の授業程度で、成績も人に自慢できるようなものではありませんでした。
しかし、小学校からの幼馴染が20歳頃からイギリスに留学していて、24歳のときに彼女に誘われてイギリスに遊びに行くことになりました。
そのとき、日本とは全く違う文化や景色、歴史に触れ、ヨーロッパに興味を持つようになりました。
その頃、ちょうど転職して無職だったので、ワーホリに少し興味が湧きましたが、お金が全くなくて行けませんでした。
そこで、日本で働きながら、また旅行でヨーロッパに行きたいと思いました。
その後、就職した会社が全く有給を使えない職場で、まとまった休みが取れなかったため、ヨーロッパに行くことができませんでした。
数年我慢して働いていましたが、次第に海外に行きたい気持ちが強くなり、思い切ってお金を貯めて仕事を辞め、ずっと行きたかったヨーロッパで暮らしてみようと決意し、ヨーロッパへのワーホリを決めました。
ドイツ・デュッセルドルフを選んだ理由
ワーホリのラストイヤー(30歳)に、効率よくヨーロッパのいろいろな国を訪れたいと考えました。
当時、30歳でワーホリに行けるヨーロッパの国はフランス、デンマーク、ポーランド、イギリス、ドイツの5カ国でした。
英語が全く話せなかったので、イギリスで英語を勉強するのも良いかなと思ったのですが、競争率が高く、また他の国へのアクセスが不便だと感じたため、候補から外しました。
残りの国でどこにしようか考えたところ、当時ドイツのブンデスリーガに多くの日本人選手が所属していて、サッカー好きな私にはとても親しみやすい国だと感じました。
また、ドイツは電車や飛行機で他の国へもアクセスしやすいことが分かりました。
さらに決め手となったのは、デュッセルドルフに国際空港があり、日本人街もあることでした。
英語もドイツ語もほとんどできなかった私でも、何とか生活できるのではないかと思い、ドイツ・デュッセルドルフへの渡航を決めました。
渡航当初の様子

渡航当初は、街並みや景色、食事などすべてが新鮮で、写真をたくさん撮りまくっていました。
そして、日本にいる友達や家族に写真をこまめに送っていたと思います。
最大の課題だったドイツ語は、挨拶程度しか覚えていませんでしたが、買い物や日常生活では身振り手振りで何とか乗り切っていました。
ところが、渡航してから約1か月後、思いがけずホームシックになってしまいました。
渡航前は絶対にホームシックにはならないと思っていたので、驚きました。
この時期、「魔女の宅急便」を観て、主人公キキの一人で知らない街に暮らす気持ちに共感しすぎて、大号泣してしまいました。(「魔女の宅急便」は日本にいる時に何十回も観ていた作品です)
3か月が過ぎると、生活にもだいぶ慣れてきて、落ち着いてきました。
日本にいた時は、休みの日に外出するのが億劫でしたが、ドイツでは休みの日に家にいるのがもったいないと感じ、散歩に出かけるのが日課になりました。
ワーホリでの仕事
ドイツにある日本人向けのサイトで求人を探し、デュッセルドルフの日本人街(インマーマン通り)にあるラーメン屋で働くことになりました。
オーナーや従業員はほとんど日本人で、ドイツにいながらも日本の環境に近い感じでした。
最初はドイツ語ができなかったのでキッチンで働いていましたが、だんだんホールにも出るようになり、ドイツ語での接客をしなければならなくなりました。
接客を始めると、一気にドイツ語のリスニング力が上がり、語学力がぐんと向上しました。
もっと早くホールに出て接客していればよかったと少し後悔しています。
ドイツの人々はとても優しく、言葉が分からなくても決してイライラせず、怒ることもなく、聞き取りやすく話してくれる方が多かったので、ゆっくりと語学を覚えることができました。
日本ではなかなかこういった対応をしてもらえることは少ないだろうなと感じました。
ラーメン屋へ来店するお客様は、日本人とそれ以外の方と半々くらいでした。
日本人の食べ方は特に気になりませんでしたが、欧州の方はラーメン=スープという考えが強く、スープと麺を一緒に持ち帰ることを希望したり、麺をすすらずれんげとフォークで食べたりと、日本とは大きな違いを感じました。
ちなみに、当時日本ではラーメン1杯が800円くらいだったと思いますが、私が働いていたお店では1000円~1500円くらいで、ラーメンが高いと感じました。
ワーホリでの最大の困難と克服方法
ワーホリ中に一番困ったのは病院のことでした。
特に大きな病気や怪我もなく、半年間は順調に過ごしていたのですが、ワーホリ後半で風邪をひき、喉が腫れて40度近い高熱が出てしまい、入院することになりました。
入院の手続きは、バイト先の方が付き添って手伝ってくれましたが、病院には日本語が話せる人が全くいなかったので、困ったときにうまく伝わらず、かなり不安でした。
病院食も日本とは全く違うもので、ドイツに来てから体重が5キロ増えていたのに、入院中は急激に体重が減りました。
5日ほど入院し、退院できましたが、一番大事な病名が分からず、原因もはっきりしないままでした。
日本では風邪をこんなに悪化させたことがなかったので、人生初の入院がドイツという経験になりました。
克服方法
日本から来た友達でも、病院に苦労している子が多かったので、健康には十分気をつけるべきだと思います。
ワーホリでの一番の思い出

私がドイツにいた2014年の夏、W杯が開催されました。
サッカーが本場のドイツでは、町全体がドイツカラーに染まり、ドイツ戦の日はどのお店もテレビをつけてビールを飲みながら試合を観戦。
ゴールが決まる度に歓声が上がり、全く知らない人ともハイタッチをして、みんなで喜びを分かち合いながら盛り上がっていました。
日本は残念ながら決勝トーナメント進出を果たせず敗退してしまいましたが、ドイツはその後、開催国ブラジルを準決勝で破り、決勝に進みました。
ブラジルという優勝候補を破ったことで、ドイツ中はすでに優勝したかのように興奮しており、まだ優勝が決まっていなくても、深夜の時間にも関わらず街は大盛り上がり。
そして、2014年7月13日、ドイツがアルゼンチンを破りW杯優勝!!
ドイツ中が歓喜に包まれる瞬間でした。
でも、その時、私は残念ながらドイツにはいませんでした。
次の日にあるパリ祭に行くため、すでにパリに前乗りしていたのです。
自分が住んでいる国がW杯で優勝するという貴重な瞬間を目の当たりにできなかったことは、ワーホリ生活だけでなく、人生最大の失敗体験だと今でも感じています。
ワーホリを通じて得たもの
日本にいた時は、一人で行動するのがあまり得意ではなく、ランチやお茶もお店など一人で過ごすのは苦手でした。
しかし、ドイツに渡って1年という限られた時間の中で、一人でも行ける場所へ行こうと決め、少しずつ一人で行動するようになりました。
海外でも一人で行動することで、国内でもどこに行くのも一人で大丈夫という自信がつきました。
ドイツにいた時、語学力は接客レベルまで上達しましたが、日本に帰国してからはドイツ語を使う機会が全くなく、10年経った今では残念ながらほとんど忘れてしまいました。
以前は、海外の人に英語で声をかけられると、うまく話せないからと避けていましたが、今ではたとえうまく話せなくても、何とか伝えてみようと思っています。
これからワーホリする人へ
海外に行くからには、語学力は絶対に必要だと思います。
私は全く勉強せず、職場も日本人ばかりだったので、現地の人とほとんどコミュニケーションを取れないまま1年を過ごしてしまいました。
今考えるともったいなかったなと思っています。
当時は、旅行に行きたい気持ちが強くて、語学学校に通うならそのお金で旅行に回したいと思っていました。
また、帰国後にドイツ語を使う機会はないだろうと思い、学ぶ意味がないと思っていました。
でも、今思うと、語学学校に通って少しでもドイツ語を勉強しておけば良かったと感じています。
また、ヨーロッパは治安が悪くて、女性の一人旅は危険だというイメージがあると思います。
私は実際、一人で旅行することが多かったのですが、その際に気をつけていたのは、明るい時間帯にしか外を出歩かないこと、旅行者らしいトランクは持たないこと、そしてカバンは常に前に持つことです。
これで大きなトラブルもなく、英語が喋れない私でも一人で楽しく旅行できました。