カルガリー・30歳・のり

カルガリー・30歳・のり
目次

プロフィール

名前のり
渡航先カナダ・カルガリー
渡航時の年齢30歳
渡航前の職業営業事務
渡航資金300万円
渡航時の語学力TOEIC650点程度
渡航時の滞在方法ホームステイ
語学学校の期間6週間


ワーホリのきっかけ

25歳の時、外資系企業の営業事務に転職しました。

キャリアのステップアップとして、事務+αのことができるようになりたいという思いがあり、外資系企業を選びました。

英語はできても、できなくてもお仕事自体はこなせましたが、海外からの英文メールや英語の電話は、いつも英語ができる他の人が対応してくれることに対して、もどかしい気持ちを抱いていました。


「英語の電話を聞き取れるようになりたい」

「英語ができたら、もっとお仕事の幅が広がるだろうな」

自分の中で悔しさが残り、いつしか「英語でコミュニケーションできるようになりたい」と思い、英会話教室に通い始めました。


それと同時に、高校卒業以来、触れていなかった英語学習も開始。

まずはTOEICからと思い、何も勉強せずに受けたTOEICのスコアは300点でした。

そこから、英語でコミュニケーションが取れることの楽しさや、できなかったことができるようになる達成感が嬉しくて、英会話教室とTOEICの英語学習にどっぷり浸かって3年くらいたった頃。

日常会話も簡単な英語なら先生と意思疎通ができ、TOEICも独学で650点まで伸ばすことができました。


コロナ禍が少し落ち着いてきた2022年の春頃、ふと「自分の英語は海外でどれくらい通じるのだろう」という一つの好奇心が芽生えました。

旅行でさえ一度も海外に行ったことがない状態で、英語を勉強していくにつれて、「海外で働いてみたい」という気持ちがどこかでありましたが、「私のこの英語力でいける?」「お金かかるし」「親は何ていうかな」など様々な不安が頭をよぎり、なかなか一歩を踏み出せませんでした。

「とりあえず情報収集からしてみよう」と思い、私のような海外へ行くのに一歩踏み出せない人たちが集まるセミナーに参加してみたり、いろんな留学エージェントさんに話を聞いたりしていくうちに「できないことはない」と思うようになりました。


自分で何が不安なのかを洗い出して、どうにか実現できないかと、一つ一つその悩みに向き合いました。

行きたい気持ちと悩んでいる気持ちを常に天秤にかけていました。

当時29歳で、ワーホリは30歳まで。ここでワーホリに行かないという決断をしたら絶対後悔すると思いました。

人生一度きり。やらなかった後悔よりやった後悔。そんな言葉が頭によぎり、会社員を辞めてワーホリに行く決意をしました。


カナダ・カルガリーを選んだ理由

カナダ・カルガリーを選んだ理由

最初は、29歳にして、旅行でさえ一度も海外に行ったことないのに、「海外に長く住むなんて大丈夫だろうか?」そんな不安もありました。

予行練習みたいなかたちで、最初は4週間の語学留学でオーストラリアのメルボルンに留学しました。

メルボルンを選んだ理由は、「コーヒー」「ヨーロッパ風な建物」「アートな街」私の“好き”が詰まっていたからです。


また、オーストラリアから発信している英語系YouTuber「タロサックさん」にハマっていたので、それも理由の一つでした。

日本から距離も近いし、時差も少ないし、英語圏だし、費用も他の国と比べて高くなかったので、最初の留学先として選びました。

このオーストラリアでの予行練習次第で、ワーホリの国と都市はどこにするか決めようと思っていました。

実際、オーストラリアでの4週間の留学生活は悪い思い出が一つもないくらい、本当に行って良かったと思えた留学でした。

初めての海外がメルボルンで良かったと強く思います。


ヨーロッパ風な建物が多いのもあって海外の気分を味わえたのも、オージーとのコミュニケーション、街を散歩するだけ、何もかも初めてで新鮮でした。

渡航して4日目でコロナになったのもあって実質3週間になりましたが、それも良い経験だと思っています。

あの期間があったからこそ、時間は有限だと思ったし、1日1日を大切にしようと思いました。


また留学を通して、期間は短いとはいえど、「自分ってこんな人間だったんだ」と自分と向き合うキッカケにもなりました。

その後、オーストラリアからの留学から帰ってきて、「オーストラリアにまた戻りたい」という気持ちもあれば、「新鮮な気持ちで違う国での生活も経験してみたい」という気持ちがありました。

オーストラリアは留学の時にたくさん調べたから、一旦違う国を調べてみてから考えようと思って、ワーホリの渡航先として有名な英語圏、カナダから調べてみることにしました。


ワーホリ先として人気な都市はバンクーバーとトロント。

調べてみて、なにかピンとこず、バンクーバーは都会すぎず田舎すぎず過ごしやすそうだし、街の雰囲気は好きだけど、日本人やアジア人が多い。

トロントは大都会でなんか自分の色と合わないな。

「皆が選ばないような都市がいいな」なんて漠然とカナダの他の都市を検索していたところ「カルガリー」という都市があることを知りました。


「ロッキー山脈に近くカナダの自然を感じられること」「日本人が少ないこと」「世界で最も住みやすい都市ランキングで5位に選ばれていること」「税金が安いこと」「都会すぎず田舎すぎない街」

私の“住んでみたいな”という条件が全て揃っていました。

そこから、現地の留学エージェントさんにコンタクトをとり、最終的にワーホリの渡航先をカルガリーに決めました。


渡航当初の様子

今からどんな生活が待っているのだろうとワクワクした気持ちが強かったです。

空港での英語のコミュニケーションがスムーズに行かなくても、機内で何を言っているのか分からなくても、雰囲気を楽しんでいたように思います。

「うまく行かないことがあって当たり前だし、一つ一つ課題を乗り越えていくことで、小さな成功体験が自分の自信につながると思う」と、当時の自分の日記に書いていました。


苦労話としては、MacBookをどこかで無くしたことをカルガリーについて翌日に気づいたことです。

どこで無くしたか覚えてなくて、MacBookの中にいろんな情報が入っていたので、とても焦りました。

「海外で貴重品を無くしたら返ってこないだろう」と。


自分の携帯がiPhoneだったので、アップル製品だと位置情報を検索できる事を思い出し、MacBookの位置情報が、乗り継ぎのバンクーバー空港を差していました。

航空会社のエアカナダに連絡するも電話がなかなか繋がらず、5時間くらいしたら繋がり、英語が聞き取れなかったので、ホームステイのカナダ人マザーが英語は手伝ってくれました。

しばらくしたら、折り返しの電話が来て、私のMacBookが空港の保安検査場で見つかったようで、バンクーバー空港からカルガリーのホームステイ住所に後日届きました。

あの時は着いて早々冷や汗かきました(笑)。


現地についてから生活に慣れてきた時期は、お仕事、シェアハウスと決まり、自分の生活スタイルがなんとなく確立してきて、2ヶ月くらい経ったころかなと思います。

カルガリー着いて1週間くらい、学校以外の時間は、街にどんなお店があるのか探検したり、地理を把握したり、電車やバスの乗り方を知るなどといった時間に充てていました。

2週間目は、ホームステイは6週間、学校6週間の予定だったので、次に住むためのシェアハウスの内見の予定を入れたり、e-Mapleというカナダの日本人サイトを見て求人探したり、お店に直接レジュメを配ったりしていました。


最初にレジュメを配ったお店は韓国系のレストランでした。

初めてのレジュメ配りで、私はお店の入り口の外にずっと立っていて、出てきたお客さんに「中入らないの?」と言われ、緊張しすぎて、なかなか足も手も動かなかったですね(笑)

学校卒業と同時に、お仕事はe-Mapleを通じて決まり、シェアハウスも内見3件ほどして決めました。

生活が慣れてきたのは、そこからでした。


ワーホリでの仕事

ラーメン、サーバーの仕事

仕事内容:日本食レストラン(ラーメン)のサーバー

仕事を見つけた方法:e-Maple

時給:15ドル+1時間2ドルのチップ


お客さんや同僚との言語の壁でたくさん苦労してきましたし、うまく話せなかったことに落ち込むこともありました。

仕事を覚えること一つでも、何をやるのにも不器用な方で、たくさんミスしてきましたが、それでも尚、楽しく働くことができたのは、周りのお陰だと強く思います。

周りの人柄のおかげで、支えられてここまで働くことができたと思っています。

いろんな国のお客さんがいたので、食事の中での文化の違いや人間観察するのも楽しかったです。


ワーホリでの最大の困難と克服方法

最大の困難は仕事探しでした。

ワーホリして8ヶ月経った頃、私は二つのお仕事を掛け持ちしていました。

一つ目は、6ヶ月続けてきたラーメン屋のサーバーのお仕事、二つ目は1ヶ月続けてきた寿司屋の調理補助。


寿司屋の調理補助のお仕事は、上司のパワハラで精神ともに疲労して、通勤のバスで勝手に涙が出てくるほど精神的にきていたので、辞めようと考えていました。

二つ目のラーメン屋のお仕事は、オーナーが自分の国に帰るからお店は来月で閉めるという連絡が入りました。

実質、二つのお仕事を失い、残りのワーホリビザは4ヶ月。

この残り期間で雇ってくれるところはあるのだろうかと考えていました。


一般的に冬の期間は仕事閑散期でなかなかお仕事が見つかりにくい時期でした。

レジュメを70件配り終わり、配り終えたところに追い電話して、「2ヶ月先なら募集があるんだけどな」「ビザ期間もう少し伸ばしたら来て」と言ったところが多くありました。

物価の高い環境で一気になくなっていく自分の予算に、最終的に次のお仕事が決まらなければ、日本に早めに帰国も考えていました。

できれば日本に早めに帰るという選択は取りたくありませんでした。

「最後までワーホリ生活走りたい」と強く思っていました。


克服方法

カルガリーでお仕事見つからなければ、オンラインで違う都市でも求人があるか見てみようと思い、ケロウナでラーメン屋のサーバーのお仕事の募集が目に入りました。

そのお店のインスタグラムを見て「この人たちと一緒に働いてみたい!」と直感的に思い、メールでコンタクトしました。

「同じ職種で、カナダで働いたことがある経験者なら優遇してもらえるかも」そんな気持ちもありました。

メールで自分のアピールポイントを熱烈でラブレターのように長文で送りました。


オーナーから返信があり、「ぜひZoomで面接お願いします」とオンラインで会うことになり、その場で採用が決まりました。

後々、なぜワーホリ期間4ヶ月の私を採用したのか、オーナーに聞いてみたところ、次のように言っていました↓

「ちょうど従業員が一気に自分の国に帰ってしまって、すぐに即戦力になれる人を探していました。メールの文章から誠実でまっすぐな印象が伝わってきて、メールの段階からこの人と働いてみたいと思っていました。オンラインで応募してくれる人もいるけど、顔写真を添付してきた人は初めてで、それも印象に残りました。お店にレジュメを渡しにきてくれた人もいるけど、応募者と直接会ったことがない人は面接していない。顔を直接みてない人と面接しようと思わないから。」

あのとき気持ちを込めてメール文章考えて、思いが届いて良かったと思いました。


ワーホリでの一番の思い出

イエローナイフのオーロラ

語学学校で出会った友達と色んな所に旅行に行ったことです。

カナダにいる間は、バンフ・モントリオール・ケベック・イエローナイフ・バンクーバー・ビクトリア。

ワーホリビザが切れて日本に帰るまでは、ロサンゼルス・ラスベガス・ハワイに行きました。

中には一人旅のものもありますが、イエローナイフでオーロラが見ることができたのは良い思い出です。


他にも、Meetupで出会って友達になった人とご飯に行ったり、お仕事でお客さんとスモールトークをしたり、同僚と世間話したり。

同じ時期にカナダにいて、カナダから自分の国に帰った人もいて、もし個々人で選択が違っていたら出会わなかったかもしれない。

そう考えると、ここで出会えたことは奇跡だろうなと。そんな日々の何気ない日常も全て大切な思い出です。


ワーホリを通じて得たもの

私はワーホリを通じて、たくさんの人に助けられて、支えられて、恵まれて、カナダの生活は成り立っていたなと感じています。

あの時こうしとけばよかったなと思うこともありますが、自分が選択して見た景色がこんなにも違った結果になるから、人生は面白いと感じます。

年齢とか英語力とか性格とか、言い訳しようと思えば、環境のせいにしようと思えば、いくらでもできますが、自分がどれだけそれに向きあって、乗り越えようとして、行動したかだと思います。

出会った人全てに感謝しています。


カナダでは、小さなことで幸せを感じることも多く、幸せのハードルが低くなった、心に余裕が持てるようになったと思います。

目の前の山を眺めながら自転車で職場に向かう。仕事中にお客さんと話す。休日には友達とハイキングやワイナリーに行く。

特別なことではないかもしれませんが、私は何気ない日々を楽しみ、大切に過ごしていました。


成長としては、私は自分の弱みと強み、両方に向き合いました。

他人と比較することや他人の目が気になることが多かったのですが、ワーホリを通して、人間完璧じゃなくていい。

ありのままの自分でいい。できないかなんて考えなくていい。やりたいと思ったらやればいい。できる人もいて、できない人もいる。

得意不得意あって当たり前だし、たとえ挑戦したことがうまくいかなかったとしても、不器用で人より時間がかかっていても、それは私が人として成長する過程だと思っています。

“自分らしく生きる“ そんなマインドが出来上がりました。


キャリアへの変化として、カナダで1年過ごして、日本の良さや日本食の偉大さを改めて実感し、リゾートバイトで日本を旅しながら、帰国後は働いています。

今働いているホテルは、インバウンドのお客さんがほとんどなので、英語でいろんな国の人とコミュニケーションが取れるのが楽しいです。

なぜか、カナダにいる時よりも、日本にいるときの方が、スモールトークを自分からしているなと感じます。

今が一番英語を楽しんでいるように思います。

“下手でも気にせず話す” 英語はコミュニケーションツールに過ぎない“このマインドを確立するのに、かなり時間を要しましたが、プライドが大きい人ほど、邪魔をすると思います。プライドを捨てることも時には必要だなと思います。


語学力の変化については、1年を通じて劇的に伸びたという感じではないですが、リスニングに関しては、ワーホリ10ヶ月目くらいのころ。

好きな海外ドラマがあり、日本で見たのが最後だったのですが、そのシリーズがカナダにいる間に新しくリリースされ、それが字幕なしでも、ある程度理解できるようになったことが大きかったです。

スピーキングは、ネイティブの言っていることを真似して使ってみる、今日英語で言えなかったことを英語でどう表現するか調べる、英語日記をつけることを留学中に意識的にやっていました。

友達と悩み相談や恋愛話をするような深い会話ができるようになってから、その時に「英語でこんな話もできるようになったのか」と少しずつ実感してきました。

これも、ワーホリ10ヶ月目くらいのころでした。帰国後は、TOEIC650点から860点に上がったことも変化につながっています。


これからワーホリする人へ

準備で特に重要なことは、渡航前の英語力を伸ばしておくことです。

英語力はあったに越したことはないと思います。

よく現地で生活していたら英語は自然と上達するだろうと、英語学習をせずに海外に飛び込む人もいますが、今後のワーホリ生活の充実度が大きく変わってくると思います。


英語力があると仕事の選択肢も広がります。

3ヶ月仕事を現地で探したけれど見つからなくて、ワーホリ4ヶ月目でお金が尽きてしまったので日本に帰国した知り合いがいました。

「もう少し英語力をつけておけば、仕事が見つかったかもしれない」と言っていました。

ワーホリの1年はあっという間です。

ワーホリ生活を充実させるために、必要最低限の日常会話は、オンライン英会話などで英語で話す練習を日本でしておくことを勧めます。


持って行ったほうがいいものは、人によりますが、個人的に良かったものはユニクロのウルトラライトダウン、ユニクロのヒートテック、UVパーカー、洗濯ネット、日本のスキンケア用品です。

気温差が激しいので、ユニクロのウルトラライドダウン1着あると、荷物もコンパクトで、保温性もあるので便利です。

冬用ダウンの中にいつも忍ばせていました。

ユニクロは海外で買うと高いので、ヒートテックは何枚か持っていくと安心でした。

UVパーカーに関しては、カナダは紫外線が強いので、よく外に出かけるときに重宝していました。

カフェとか冷房が強い時にも良いです。


海外の洗濯機の威力が強いので、服がすぐに傷みます。

洗濯ネットはあったほうが長持ちするかなと思います。

日本のスキンケアやファンデーションなどの基礎化粧品は持っていって良かったなと思います。

海外の化粧品は日本人に合わないこともあるので、いつも使っているものがあると安心です。


気をつけるべきポイントは、日本の常識は、海外の常識ではないということ。

例えば、バスが予定通りに来ないのは日常茶飯事です。

外では公共の場での飲酒が禁止されている地域が多いです。


日本人は、状況や相手との関係性によって、言葉を選んで話す傾向がありますが、カナダでは、直接的なコミュニケーション(思っていることは正直に言う)ことを好む人が多いです。

カナダでは、レストランやタクシーなど、サービス業に対してチップを支払うことが一般的です。

その国の文化やルールを事前にリサーチしておくことは大切だと思います。


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