プロフィール
名前 | ゆきこ |
渡航先 | ドイツ・ベルリン |
渡航時の年齢 | 29歳 |
渡航前の職業 | ロジスティクス |
渡航資金 | 60万円 |
渡航時の語学力 | ドイツ語は全く話せない、英語は中学レベル |
渡航時の滞在方法 | シェアハウス |
語学学校の期間 | 3ヶ月 |
ワーホリのきっかけ
日本にいた当時、私は外資系企業のロジスティクス部署で働いていました。
各国のスタッフと連絡を取り合うことが多かったです。
時々、仕事だけでなく、各国のスタッフの私生活を聞く機会もありました。
そこで疑問が出てきました。「日本の常識は、海外の常識ではないかもしれない。」
その時から一度でいいから海外で生活してみたいという想いが出ました。
週末に友だちと会った時、ふとしたきっかけで、ワーキングホリデービザという存在を知りました。
国によっては満30歳まで使えるビザ。
当時の私は29歳だったので、悩みに悩んみました(仕事のこと、今後の将来のことなど)。
しかし、人生は一度きり。
30歳になるまであまり時間もない。
一度、海外に行って、一年後にまた日本に戻ってきてもやり直せると自分を納得させて、海外に出ることを決断しました。
ドイツ・ベルリンを選んだ理由

なぜドイツになったのか?
理由は簡単で、消去法で絞り込んだら、ドイツしかなかったからです。
私の条件は、29歳でワーホリビザがとれる国。
英語は中学と高校で勉強したので、それ以外の外国語を話す国。
当時、2つの条件を満たすのは、韓国とドイツだけでした。
当時の私は韓国にしょっちゅう行っていたことと、日本から近すぎるので、ドイツに決めました。
ドイツに決めたので、ドイツ語を勉強しなければなりません。
日本で勉強するには時間が無さすぎる。
2月に退職願を提出し、8月にドイツに行くまでたった6ヶ月間の準備期間です。
ドイツで一番安い語学学校を調べた所、ベルリンで発見しました。
当時、平日3時間の授業を3ヶ月とっても合計1000ユーロ以下、破格の値段でした。
さらに語学学校は住居の斡旋もしていたので、語学学校の入学許可をもらえるのと同時に、住む家も紹介してくれる便利さが魅力でベルリンに即決しました。
渡航当初の様子
渡航当日は緊張しました。
実はドイツに行く前に、韓国と香港でストップオーバーして友だちに会うプランをたてていました。
はじめての香港は刺激が強くて、たった数日の滞在だったのに記憶が鮮明に残っています。
韓国と香港のプランを重視していて、ドイツの調査をおろそかにしていました。
ロンドンからベルリンに向かっている機内ではじめてドイツの地図を見ていないことに気づきましたし、空港から語学学校までの行き方を全く調べていませんでした。
当時はスマホがなかったので、焦りました。
仕方がないので、空港から語学学校前までタクシーで行きました。
住居は語学学校から徒歩3分。
スーパーでの買い物、キッチンの使い勝手の違い、周囲の雰囲気など、全てが新鮮でした。
私が住んでいた地域はトルコ系ドイツ人が多く住すんでいるクロイツベルグで、トルコ語、アラビア語がドイツ語よりも頻繁に聞こえる地域でした。
雰囲気がトルコ。週末デモがあって、外出禁止の時もありました。
ドイツに来て最初の難関は、住民登録です。
ベルリンは広いので、ベルリンの各地域それぞれに市役所があります。
市役所に行くのに地下鉄に無断乗車して、私服警官に捕まったこともあります。
さらに市役所のスタッフは、ドイツ語を話せない人に対して冷たくあしらうので、日本が大好きなドイツ人の友人に頼んで、住民登録の手伝いをしてもらいました。
住民登録に約3週間も時間を費やして愕然としました。
普段の買い物にも注意が必要でした。
所持金が60万円だったので、生活をはじめてすぐに、どこでアルバイトができるか模索していました。
アルバイトは語学ができないと見つけるのが難しかったです。
とにかく所持金が少なかったので、他の貧乏学生と一緒に、マーケットで閉店前の叩き売りの時間に買い出しに行き、大量の野菜を山分けしたのが良い思い出です。
最初の2週間はハプニングだらけでしたが、9月に私のお誕生会を開いたときは、大分生活に慣れ、多くの友達を呼んで開催していました。
たった1ヶ月でたくさんの知り合いができて充実した日々を過ごしていました。
ただ、時間がたつにつれて、毎日同じ友達とパーティーをしていていいものかと疑問ももちました。
私はドイツで何をやりたいんだろうと考えるようになりました。
ワーホリでの仕事

フランクフルト近郊のパン工房で研修生として仕事をはじめました。
パン作りは未経験だったので、最初は掃除をして、スタッフの作業を見ていました。
この仕事を見つけたきっかけは、日本人のドイツパンマイスターのホームページを見つけて、彼女の経歴にとても共感するものがありました。
彼女と話してみたいと思って私からメールを書きました。
彼女にアポイントメントをとり、ベルリンから電車で約7時間かけて彼女に会いに行きました。
彼女との話の中で、昔、彼女が研修生として働いていたパン屋さんを教えてくれた上にそのパン工房を案内してくれると言ってくれました。
当時の私は、ドイツ語が未熟だったので、彼女に頼み込んでそこのマイスターと連絡をとってもらいました。
後日、彼女と一緒にパン工房を訪ね、マイスターに私のつたないドイツ語と英語で、ぜひ働かせてほしいとお願いしました。
時給の交渉は特に考えていなかったです。
ありがたいことに、マイスターからの提案が、住み込み、食事付き、月100ユーロのおこずかいでした。
その時の私は、まだ次に住む場所が決まっていなかったので、即決しました。
パン工房の仕事は夜勤、重労働、長時間労働です。
この中で一番苦労したのが夜勤でした。
毎日違う時間に仕事がはじまるので、睡眠を確保するのに苦労しました。
週末は12時間以上寝るということがよくありました。
仕事する上で、日本人特有の場の空気を読むという能力がとても役にたちました。
これは日本人の誇りだと思っていいと思います。
また、ドイツ式の仕事で勉強になったのは、一つの作業の始まりから終わりまでしっかりやることです。
例えば、一種類のパンの成形が終わって、しっかり机と床の掃き掃除までするのはとても勉強になりました。
リセットされた感じがして、新たな気持ちで違うパンの成形に携わることができます。
パン工房の仕事は全てが新しい事ですし、言葉もドイツ語ですから、怒られることもしばしばありました。
ドイツ人の良いところは、その時厳しく怒っても、その感情をずっと引きずらない所です。
休憩が終わると、何事もなかったように普通に接してくれます。
おかげで、職場内のいじめなどは全くありませんでした。
私は、このようなドイツ人気質を得ることができたと思っています。
ワーホリでの最大の困難と克服方法
私の場合は、ワーホリで何を得たいか、それを実現することができるかが最大の困難でした。
最初は、海外生活を体験してみたい気持ちだけでドイツに来ましたが、生活に慣れてくると欲も出てきました。
せっかくドイツに来たのだから何かを手にいれたい。
技術を身に付けたい。
私は何をやりたいんだろうと考えるようになりました。
考えすぎて、アレルギーが出て3日寝込んでいました…ベルリン生活、2ヶ月目のことです。
克服方法
克服方法は、色んな人に話を聞いてもらうことでした。
その時はある程度の友人知人がいたので、色んな人に私の状況を話して、アドバイスをもらいました。
友人の一人がベルリンのパン工房で仕事を始めた話を目をキラキラさせながら話してくれました。
羨ましかった。それから私もパン工房で働きたい気持ちが強くなりました。
自分で思い悩んで寝込むよりも、私の考えをアウトプットすることで新しいインプットを得る体験をしました。
そのため、色んなテーマで自分自身に不安がある場合、よく周囲の人に話を聞いてもらっています。
ワーホリでの一番の思い出
やはり夫に出会ったことです。
パン工房がある場所に引っ越した日に出会いました。
ベルリンにしか友達がいなかったので、引っ越し先で彼に出会い、つたないドイツ語を辛抱深く聞いてくれ、英語でもコミュニケーションを取ってくれたことがありがたかったです。
彼のおかげでドイツの色んな事を知りました。
アウスビルドゥング(職業訓練)がそのうちの一つで、ドイツにはその道のプロを育成するシステムが厳格に整っています。
アウスビルドゥングの目的は、職人になることで将来の独立や就職をしやすくすることです。
私の場合は、職人だけでなく、さらにその上のドイツ国家試験であるドイツパンマイスターを目指しました。
マイスターは職人の育成と経営全ての責任がもたされます。
マイスターには技術の継承を担うという大きな任務があります。
ドイツパンマイスターになるには時間がかかります。
マイスターになるという決断をしたとき、ワーキングホリデービザでは不可能なので、まず職人になるためにアウスビルドゥングビザに切り替えて、ドイツ在住期間を伸ばしました。
この決断がなければ、私はある程度のパンの技術を得て日本に戻っていたかもしれません。
夫のおかげで、今もドイツにいます。
ワーホリを通じて得たもの
ワーホリ期間で多くの事を得ました。
ベルリンで色んな国の人達と一緒に語学勉強しているときの各国の人柄を見るのも面白かったし、彼らとドイツ語で話す訓練をすることで、間違ってもドイツ語を話すという度胸がつきました。
ベルリンの市役所で住所登録するだけなのに、人間扱いされず、悔しい思いを何度もしましたが、めげずに何度も挑戦するしぶとさも得ました。
何より、ワーホリ期間中に私自身を見直し、興味のあるパン業界に挑戦したことで、私の人生が大きく変わりました。
私自身の事をオープンに話すことで、色んなインプットもありました。
日本にいた頃ではあり得なかったことです。
苦労話がたくさんあるように見えますが、それ以上に楽しかったことがたくさんあります。
苦労を克服したり、楽しいことをもっと楽しくするために、毎日ドイツ語を話しました。
ドイツ語漬けでした。
おかげで、ドイツにやってきた頃はアルファベットの読み方もわからなかったのに、今では日常会話、専門用語も苦なく話すことができます。
これからワーホリする人へ
ワーホリの準備をしっかりやるに越したことはありません。
せめてドイツの地図を見ておく。ベルリンの場所を把握しておく。空港から目的地までのルートを確認しておく。
また、環境が異なる場所での生活ですから、身体を鍛えておいたほうがいいかもしれません。
私はマラソンをやっていたので、体力に自信がありました。
そのため、パン工房の重労働もこなせたのかもしれません。
また体力があると、病気になりにくいです。
他国で病気になることほど大変で心細いことはないので、健康管理に気をつけたほうがよいと思います。
特にドイツ渡航前に歯の検査と治療を終えておくことをおすすめします。
ドイツでは歯の治療の内容によっては、高額な請求をされることがあります。
健康維持の他の方法として、今はドイツ各都市の大きなスーパーに行けば、お味噌など日本食材が売っているので、絶対日本から持っていく必要はありませんが、日本食は心の癒しにとても大事な食材です。
お味噌、梅干しは最低限あったほうがよいと思います。
語学勉強は、できるなら日本にいる頃から勉強しておくとドイツ生活の時間を語学勉強ばかりに費やす必要が少なくなります。
ある程度の基礎知識を日本で勉強して、ドイツで話す。
会話と復習で劇的にドイツ語が上達します。