デュッセルドルフ・24歳・せいや

ドイツ・デュッセルドルフ・24歳・せいや
目次

プロフィール

名前せいや
渡航先ドイツ・デュッセルドルフ
渡航時の年齢24歳
渡航前の職業ホテル業界
渡航資金150万円
渡航時の語学力学生時代の留学時にB2(中級)
渡航時の滞在方法ルームシェア
語学学校の期間6ヶ月


ワーホリのきっかけ

学生時代留学していたのもあり、大学卒業後日本で就職してもどこかあきらめきれない気持ちがありました。

働いていた職場が業界的にきついのはわかっていましたが、今では考えられないくらいブラック…

だったらいっそ転職前に「ワーキングホリデーしに行ってしまえ!」と半ば無理やりワーホリを決意しました。

そう思ってからは早く、仕事をやめ、資金を貯めるべく実家へもどり近場でバイトを掛け持ちし、約1年かけて資金を調達しました。


留学時もそうでしたが、今回のワーホリも特に「○○をするぞ!」といった具体的な計画は無く、留学時代の感傷に浸りたいだけだったかも。

一応クラシック音楽をやっていたのもあり、ドイツに興味はありましたが、それで言ったらイタリアでもフランスでもいいわけで…

深くは考えず、ヨーロッパならドイツかな、日本みたいにしっかりしてるという話も聞くし、なんかドイツ語かっこいいし、まあとりあえず行ったら行ったでなんとかなるだろうという精神で渡独しました。

ただまさかこの決断がこの後の人生を決める大いなる一歩だったとはこのときは思いもよりませんでした。


ドイツ・デュッセルドルフを選んだ理由

ドイツ・デュッセルドルフの景色

ドイツに留学していたから、というのが一番大きいです。

都市は他にも選択肢はありました。例えば、大都市のフランクフルトやミュンヘン、首都ベルリン、学生の町ハイデルベルクなどなど。

ただ、デュッセルドルフはヨーロッパではロンドン・パリに次ぐ日本人コミュニティが形成されている都市でもあります。

困ったとき頼れるのは同郷の人だろう、というのと町中に日本食が溢れているので食事には困らないかな、ということで再びデュッセルドルフへ。



ただ、住めば都という言葉がありますが、これはその通りでワーホリ期間中の1年だけでもだいぶ自分の庭感が出てきます!

国としてドイツを選んだのはこれも留学時代にさかのぼりますが、英語が苦手だったこと、音楽をやっているので本場はドイツかな、というこちらも適当な理由です。

目標というのは後からついてくるもので、行ってみて生活してみないと立てられるもんも立てられん!というのが持論です。


渡航当初の様子

ワーホリでデュッセルドルフへ出発!到着!う~ん、懐かしい、というのが正直なところですが、留学時に初めてデュッセルドルフへと降り立った気持ちはまた別でした。

留学時は右も左もドイツ語もわからない状態。

かろうじて留学生のお世話係の人とつたない英語で意思疎通できる程度。

不安半分期待半分、という感じでした。


ワーホリ時も懐かしさはありつつも4年たてば街も変わっているし、知り合いもいないしで不安と期待半々。

ん?書き出してみると不安と期待の内容は違えど、実は似たような気持ちだったのかな?ただ、全てのこと(家やインターネット契約、住民登録など)を一人でこなさねばいけなかったので、自分のドイツ語でどうにかなるのかとても心配でした。

住民局、銀行、保険、色々と走り回ったなぁ…

まあ持ち前のなんとかなるさ〜精神で順々に生活の下地を整えていき、語学学校へ通い、アルバイトも始め、趣味にも時間を費やせるようになったあたりから、あ〜ようやく現地人に近づいたんだな、と感じ始めました。

半年ぐらいですかね。


もともと語学学校へは半年行こうと思っていたので、語学学校終了と同時にドイツ語も必要最低限は話せるようになり、生活が充実していった感じです。

なのでやはりワーホリは期限ギリギリの1年は行ったほうが良いと思います。


またこれは今でも苦労していますが、公共交通機関(主に電車)がほぼ信用できません。

当初に思っていた、ドイツは日本と同じぐらいしっかりしている、という思いが見事に打ち砕かれました。

5分遅れは日常茶飯事、最大200分遅れまで見たことあります。

最悪電車の運行自体が打ち切りとなりキャンセルされることも…

最初は何のための時刻表だ!と憤っていましたが、イライラするだけ損、怒ったところで電車は来ないので、今では落胆こそするもののイライラはさほどしなくなりました。

これも慣れてきたからこそ思えることです。


ワーホリでの仕事

ラッキーなことに渡航後1週間で日本食レストランの仕事をゲットできました!

渡航前から住居は確保していたものの、日程的に渡航から1週間は入居できなかったので、その1週間はなんとか住む場所を自力で探すしかありませんでした。

日割りで入れるところを探し、連絡をとり、いざ指定された住所に行くと、とある日本食レストラン。

社員寮として使っていたところに空きができたので、とのことでした。


世間話がてらワーホリで来たこと、アルバイトを探していることを伝えると、なんと「うちでバイトする?」とうれしいオファー!もちろん飛びつきました。

当時はスマートフォンもそこまで普及していなかったので、こういった縁は本当にありがたいですね。

その後はレストランのホールでアルバイトを1年間ワーホリが終わるまでしていました。

時給は当時の最低賃金でしたが、探す手間や見つかるまでは貯金を切り崩さないといけないことを考えると問題なしです!


やっていくうちに時給もアップし、ホールだったので現地人と話す機会にも恵まれ、とてもよい経験になりました。

ただ、やはり言葉には苦労しました。

日常会話はある程度は大丈夫だろうと思っていたのですが、専門用語がわからず、例えば「七味」や「ゆず胡椒」など、どう説明していいものか、と悩みました。

そこらへんはバイト先にドイツ人もいたので、その人に聞いて覚えて説明して、の繰り返しでなんとかなりました。

その物自体を知らない人に一から説明するのって大変だなと感じました。


ワーホリでの最大の困難と克服方法

最大の困難は、やはり言葉の壁です。

ワーホリ時も、留学時に勉強していたとはいえ帰国後4年もドイツ語に触れていないときれいさっぱり頭から消えていました(笑)。

やはり第三言語としてちょろっとかじった程度では理解できるはずも無く、語学学校でみっちりと勉強しました。


こちらの人は、こいつドイツ語わからないな、とわかると英語で話すくらいはしてくれますが、それもわからないとなると、あからさまに態度が悪くなります。

イライラを前面に押し出してきます…

なので語学習得がまずは大事!


また、語学学校へ半年通っていましたがクラスの同級生たちはしゃべるしゃべる。

間違いなんてお構いなしでとにかく話します。

文法が間違っていようと発音が違っていようと、自分の意見をガンガン言ってきます。

それに気圧されてモジモジしてしまうのが私の良くないところでした。


克服方法

間違いを恥ずかしいと思わずこちらもなるべく話すように意識的にしていきました。

クラス分けである程度同レベルの人たちが集まっているので、お互い教えあいながら会話をしていき、だんだん意思疎通ができるようになっていきました。

自分の意見をしっかり伝える、これ意外と難しいんですね。日本語でも難しい…


第2の困難

困難といえば、さまざまな契約の場面も大変でした。

いくら勉強したからといっても契約書なんて日本語でもほぼ読まないし…

でもドイツだと読んでいないと後々こちらが不利になる場面が色々とあります。


一番ありえそうな落とし穴は「解約は三ヶ月前に通知すること」。

一年間のワーホリなら、9ヶ月目には解約手続きをしなけれなりません。

9ヶ月目なんて一番楽しい時期で、言葉もある程度わかるし友達もできて旅行に行ったりしています。

あっという間に過ぎていくので注意が必要です。

契約書はドイツ語のわかる人にしっかり読んでもらうか、せめて解約の時期だけでも自分で読み込んでおく必要があります。

ワーホリでの一番の思い出

ドイツ・ハイデルベルクへの旅行

語学学校で仲良くなった友人と色々と遊びに行ったことが強く印象に残っています。

ブラジル人の女の子とジョージア人の男の子。

一緒にスケートに行ったり、飲みに行ったり、試験勉強をしたり、やはり苦楽を共にした仲とでも言うのでしょうか、彼らとは半年間ずっと同じクラスで一緒に勉学に励みながらも遊んだ思い出があります。

人生の中でも中々に濃い時間だったあの頃は、個人的には一番の思い出です。



もちろんアルバイトの思い出や趣味の思い出など、思い返せば色々とありますが、何かに熱中というか集中していたのがドイツ語の勉強、ひいては友達との会話でした。

友達と話すためにはドイツ語を勉強しないといけないし、試験に落ちれば置いていかれてしまう。

そのような焦燥にも似た感情で勉強していました。

先に目標も特に無く、と書きましたがやはりそういったものは後からついてくるもので、友達と話すためにドイツ語を勉強したい、話せるようになりたい、という目標があったのでしょう。

目標に向かっている時が一番思い出に残っています。


ワーホリを通じて得たもの

ワーホリを通じて、自己主張が自然とできるようになっていったと思います。

どの言語にも言えることかも知れませんが、他言語が母国語である日本語へすら影響をもたらしました。

目標は無くてもいい、なんとかなるさ、という考え自体は変わっていませんが、その時その時思ったことをちゃんと口に出して言えるようになりました。


良い意味で空気を読まなくなりました。

これは日本で生活していたときにはあまり感じることの無かった開放感です。

成長したのかはわかりませんが、周りに影響されず、自分というものを持てるようになったと思います。


私は当時アルバイトをしていたレストランでお客さんにスカウトされ、そのまま今は現地企業で働いています。

まさか自分がドイツで、しかも日系企業ではなく現地企業で働くなんてワーホリを始めた時は思いもよりませんでしたが、最初に入った家からアルバイト、就職までこぎ付けたと思うと、こうやって縁というものは繋がっていくのか、と感じました。

ドイツという国は保守的で新しいものにはまず警戒、という雰囲気があるのですが、逆に縁というか、繋がりができるととたんに親しくなり距離も縮まります。

そして自分がその輪の中に入り込むととても居心地がよく感じられます。


仕事面で言えば休暇は取れる、残業は少ない、上司にも意見を言える。

もちろん日本と同じようにはいかないので、イライラする場面もありますが、ここは日本ではない、ということを念頭に置いて物事を考えると、職場でもプライベートでも物事がうまく進みます。


単純に語学力という面では半年間語学学校に通っていたのもあり、C1レベルに持っていくことができましたが、その後は仕事や友達との会話でしか使っていないこともあり、生活・仕事に支障が出ない程度に維持するよう心がけています。

やはり使わないと忘れていくので…

ただ、ドイツ語だけ出来てもこちらの日系企業で働きたいのであれば英語が必須になってくるので、まさが自分が言う側になるとは思っていもいませんでしたが、学生時代にちゃんと勉強しておけばよかったなと今更ながらに思いますね(笑)。

意外と日系はドイツ語が必須ではないことに驚きました。


これからワーホリする人へ

なんとなくでドイツへ行ったと書きましたが、準備は重要です。

まずは住居。これがないとインターネットや銀行口座開設等々で様々な問題が生じてしまいます。

ですが家探しも今は銀行口座や給与明細が必要だったりと、ねじれ現象が起きてしまっているので、まずは期間限定や、引っ越すことを前提に入居出来るところを見つけるのがよいかと思います(ここだと日本人向け住居が見つけやすいです!→ https://ger.mixb.net/)。

ちなみに私は少し上記で触れましたが、日本にいるときにこのサイトを通じてシェアハウスを見つけておきました。


到着してからは、こちらも上記で少々書きましたが、色々な契約や役所へ出向くことが多くバタバタとしますので、生活関連(家、インターネット、電気、銀行口座、住民登録、必要なら免許証の書き換え)はしっかりと下調べはしておくのが吉。

さすがに何とかなるさ〜精神の私でも到着後1ヶ月ぐらいは色々走り回っていました。

持っていく物は基本的にドイツでも同じものや似たようなものは手に入るので個人的には特に無いと思いますが、住む場所によっては日本の物が手に入りにくいので色々な便利グッズがあるといいかもしれません。(レンジでパスタを茹でるやつ、日独の辞書などなど)


あるとすれば洋服。こちらはやはり皆大きいので、中々サイズが合うものが見つかりません。

また、ホストファミリーとかにお世話になるのであればお土産もあるといいですね。

ただ、ドイツ人は初めてみるものには警戒心マックスなので、抹茶のチョコとかお菓子系で受け入れやすいものが無難かと思います。


気をつけるべき事といえば、いくら先進国のドイツといえども治安は日本の何倍も悪いです。

知らない人から話しかけられても無視、家への突然の訪問は出ない、夜は中央駅付近は出歩かない(たいていどこの街も中央駅周辺は治安が悪いです)、など色々ありますが、本人が気をつけていれば全て自分で防げるのであまり過剰にならなくても、ここは日本と違う、という意識さえ持っていればよいのではと思います。

ただ、ナチス関連の事に関してはかなりタブー視されており、ピシッと手を挙げるとナチス式敬礼と見なされ、最悪警察のお世話になってしまう可能性もあるので注意です!

ウェイターさんを呼ぶときやタクシーを停めたいときはひじを軽くまげて人差し指を立てて合図をしましょう。


ワーホリは1年という限られた時間です。

どう使うかはあなた次第ですが、人によってはアルバイト漬けで語学学校にも旅行にも行けず、結局何も得られなかった、ということもあります。

確かにお金は必要ですが、バランスが大事だと思います。


私はなんとなく、やりたいことも特にあったわけではなく、ただドイツを気に入ってワーホリをしていたので、そのドイツを知るために、現地でできた友達と会話をしたいがために、ドイツにいるという実感を得るためにドイツ語を語学学校で習っていたのかもしれません。

何度も言いますが、目標は後からついてきたのです。

ワーホリや留学と聞くと、人生の一大イベント、選ばれた人間しか到達できないとても崇高なもの、意識高い系がするようなこと、と思われがちかも知れませんが、そんなのは幻想で、時間とお金があれば誰でもできちゃうものなんです。

それに向かう努力は必要ですが、案外お気楽に考えていいものだと思いますよ。


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