プロフィール
名前 | オインゴ(サイト管理者) |
渡航先 | オーストラリア・マンリー |
渡航時の年齢 | 23歳 |
渡航前の職業 | パン製造 |
渡航資金 | 150万円 |
渡航時の語学力 | TOEIC300点程度 |
渡航時の滞在方法 | ホームステイ |
語学学校の期間 | 3ヶ月 |
ワーホリのきっかけ
ワーホリに興味をもったきっかけは、パン工場での流れ作業でした。
来る日も来る日も、食パンの生地を作る作業。
自分が機械の一部になった気がして、このままだと病んでしまいそう…
そんな生活を変えたく思い、職場の先輩に相談しました。
「ワーホリって知ってる?」と海外志向の強い先輩から不意に質問が。
そこで何かピンときて、英語できたら人生変わるんじゃないかと感じ、ワーホリについて調べるようになりました。
それまでは全く海外に興味がなかった自分が、どんどん海外に興味を持ち始め…
最終的には、新卒で入社した会社を1年で退職し(公務員の親には大反対されましたがw)、オーストラリアでワーホリを始めました!
オーストラリア・マンリーを選んだ理由
オーストラリアを選んだ理由は、寒いところよりも暖かいところのほうが好きだったからです。
都市はシドニーからフェリーで30分ほどの距離の「マンリー」という場所に決めました。
サーファーに人気のマンリービーチがあり、リラックスした雰囲気が魅力的な街です。
私はサーフィンを全くしないのですが、なぜだかその街を気に入り、渡航先に決めました。
その後、バンダバーグ・ゴールドコースト・メルボルンにも住んでみましたが、今でもマンリーには強い思い入れがあります。
それぐらい、魅力的な街だったのかと。
ビーチ好き・リラックスした雰囲気好きな人にはおすすめなので、いちど検討してみてもいいのでは。
渡航当初の様子
初めての一人での海外生活だったので、始めは不安だらけでした。
実際、オーストラリア行きの飛行機では、涙を流していたような…
そして到着後、空港まで迎えに来てくれたのは語学学校のスタッフ。オーストラリア人。
日本語が通じず、ぜんぜん会話できず、さっそく凹みました。
ホームステイ先につくと、出迎えてくれたのはオーストラリア人家族。
もちろん日本語が通じず、さらにへこんで、とりあえず寝ました。
翌日、状況が変わることもなく、どうやって過ごしたのかあまり記憶がないですw
その翌日に語学学校がはじまり、日本人がいたので、話しかけたら気持ちが楽に…
その後は、その日本人と友達になり、一緒に1~2週間過ごしていました。
すると、全く英語が上達しない。
このままじゃダメだと思い、他国のクラスメートと積極的に話すようになり、韓国人の友達ができました。
そして、スペイン人やドイツ人の友達もでき始め、だんだんと現地の生活に慣れていきました。
ワーホリでの仕事

ファーム仕事やセカンドワーホリに興味があったので、学校卒業後に農場で働くことに決めました。
運よく留学エージェントから農場での仕事情報をゲットし、その仕事先にさっそく連絡。
すると、仕事・宿がアレンジできそうということだったので、バンダバーグ(ブリスベンから車で約5時間の街)に都市移動することにしました。
そして、無事仕事が見つかり、ハーブ農家で働くことに。
作業は、バジルを刈って束にするのがメインでした。
その束を20~30キロ分作り、選別の場所まで運ぶという、かなりの肉体労働。
5ヶ月ぐらい経ち、気づけば結構なマッチョになっていましたw
給料は歩合制でした。
始めは、バジルを束にするのに時間がかかり、あまり稼げなかったです。
しかし、5ヶ月目くらいになると、プロの域に達し、月50~60万稼げてた思います。
努力は裏切らない。
ワーホリでの最大の困難と克服方法
オーストラリアワーホリで一番苦労したことは、「海外生活に慣れる」ということです。
家族も友達もいない場所で、しかも英語環境で暮らすということは、ほんと大変でした。
英語で言いたいことが言えないので、ホストファミリーと仲良くなれない。カフェでうまく注文できない。バスの運転手に道を聞けない。
日本では苦労しないことに、苦労する毎日。
さらに、日本とは違う環境もつらかった。例えば、自動販売機がない。コンビニがあまりない。コンビニでお酒が売っていない。公衆トイレがなかなか見つからない。
そんな環境で暮らしたことがなかったので、ワーホリ当初はストレスが結構たまりました。
日本に帰りたい…とはならなかったですが、あまりハピーではなかったです。
克服方法
で、どうしたかというと、日本の友達に連絡しました。
そして愚痴を聞いてもらう。
そうすると、少し気持ちが楽になり、前向きになれました。
そして、行動するものの(英語勉強や街散策など)、またストレスがたまる。また友達に連絡するというのを、ワーホリ当初は繰り返してたようなw
それを繰り返していくうちに、気づけば海外生活に慣れていました。
ワーホリ当初はストレスがたまりやすかったり、凹みやすかったりするので、どこかにはけ口があったほうがいいです。
自分と同じように日本の友達と話すのもいいと思うし、好きな音楽を聞くのもあり。
そして、すっきりしたら、あとは前向きに行動するだけ。そうすれば、状況は改善できます。
ワーホリでの一番の思い出

ワーホリでの一番の思い出は、さまざまな国の友達ができたことです。
通っていた語学学校が多国籍な環境だったので、韓国人、スペイン人、ドイツ人、ブラジル人など、たくさんの友達ができました。
放課後はできた友達と、近くの空き地でサッカーをする毎日。
そこで、知り合った現地のオーストラリア人とも仲良くなり、一緒にバーで飲み明かす。
思い描いていた「the 海外」みたいなものを体験でき、ほんと幸せな毎日でした。
学校で仲良くなった韓国人の友達とは、一緒にシェアハウスで暮らすことになりました。
3ヶ月ほど一緒に暮らし、親友のようになれました。
別々の都市で暮らすことになり、お別れ会をした際には、自然と涙があふれ、ハグしながら号泣。
日本の友達ともしたことのないような、感情が揺さぶられるような経験ができ、一生の思い出になりました。
ワーホリを通じて得たもの
ワーホリを通じて得たものはたくさんありますが、一番は日本の良さ・悪さを知れたことです。
オーストラリアには、さまざまな人が住んでいて、さまざまな文化や価値観を持っています。
宗教が違ったり、服装が違ったり、考え方が違ったり、違うのが当たり前。
なので、人と一緒であることよりも、個人を尊重するような環境です。
いっぽう、日本は人と一緒であることが当たり前。
高校にいって、大学にいって、企業に就職するのが一般的な生き方ですよね。
人の目を気にする文化なので、なんだか息苦しい。
けど、オーストラリアでワーホリを経験し、自由に生きていいんだなと感じることができました。
ただ、日本の良さも実感しました。
オーストラリアには自動販売機があまりない。その理由は、壊されたり、盗まれたりするからです。
逆に日本ではいたるところに自動販売機がありますよね。
それは、つまり日本が安全だから。
ワーホリして、上記のような違いを知ることができ、グローバルな視野が得られたような気がします。
結果、カナダとニュージーランドでもワーホリしたり、オーストラリアで海外就職するきっかけにもなったので、最初のオーストラリアワーホリは一生忘れられない思い出です。
勇気をだして、退職してワーホリしたあの時の自分に感謝。「ほんとよくやった!」とほめてやりたい気持ちですw
これからワーホリする人へ
「ワーホリしたいけども、なかなか一歩踏み出せない…」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。
社会人の場合は特に。
自分もそうだったので。
けど、したいなら絶対にしたほうがいいと思います。
理由は、しないと後悔するからです。
ワーホリは30歳を過ぎると、できなくなります。
つまり、31歳になりワーホリしたいと思っても、できない。
結果「ワーホリしとけばよかった…」と後悔することになります。
なので、後悔したくないなら、ワーホリするべき。
私は、ワーホリして人生変わりました。
もともとは理系出身・工場勤務でしたが、ワーホリして英語が話せるようになり、外資系転職できました。
今では、フリーランスとして外国人のクライアントと好きな時に好きな場所で働いています。
ワーホリは人の人生を変えるぐらいの可能性があるものです。
行動しないと何も変わらないので、もし迷っているなら、まずは一歩踏み出しましょう。
理系出身・工場勤務の私でもできたので、あなたもできるはず!